遠足に行くくらいならいつも通り勉強していた方がマシ、と思っていました。もちろん、それは大人になっても変わらずです。
例えば海に行くとしたら、駐車場に入れるか、海の家はあいているか、どこに入るのか…、そんなこと考えるくらいなら、家でじっとしていた方がマシ、というタイプです。
私に友達はいませんが、行きつけの店には仲の良い店員さんがいます。あんなサービスもこんなサービスもしてくれるほど、仲良しです。
「いつもの」で通るくらい、あるいは入店した直後に女の子が私のオーダーを既にしている、という、そんな感じです。
つまり、そこにしか行かない、ということです。
私はラーメンが大好きです。
ラーメン好きはふた通りあって、いろんなラーメンを食べる人と、同じラーメン屋にしか行かない人で、もちろん私は後者です。
そして、メニューも決まっています。「いつもの」
そういう人(つまり、私)は新しいことにチャレンジできませんし、対人関係も広がりません。今までいくつかの会合に参加したことはありますが、全て「誘われたから」が理由です。
で、そういう人(つまり、私ね)は同じことしかできませんが、しかし同じことができます。
同じことを続けることに対して抵抗がありません。
さて、私と全く違うタイプの方も数多くいらっしゃいます。
とにかく、あちこちのラーメン屋を回ったり、あちこち新しいところに無計画に行けます。すばらしい。
ですが、そういう人は人生も同じになりがちで、ラーメン屋だけをあちこち回るのなら最高に良いのですが、和洋中仏独印露越韓葡土創など節操なく行ったりします。
つまり、芯がないんですね。統一性がないというか。
私のようなタイプは広がりませんし、統一性がなければ進歩がありません。その中庸は…。
双児宮に太陽月火星のどれかがあると、やっていることが広がりがちです。(太陽星座にもよります)双児宮の使い方は、難しいんですよね。注意が必要です。
そこで、双子座の人で面白いことをやっている人とこの前会ったことを思い出しました。
彼は、着物−書道−落語 に手を出していました。
それは「和」(にも関わらず、普段触れない特別なもの)で統一されています。
そんな感じで関連がありながらいろいろ手を出すと、広がっていきます。
それは分かりやすいつながりでなくても良いですが、
1→2→3 と移動した時に、1も2も3にも共通するものがあれば、場面とか場所が違っても、その共通する何かを追求していることになるのです。